2009年01月19日

博士の愛した数式/小川洋子

私の数学は中学2年の1学期で終了した。2学期からは数学だけじゃなく物理も化学も理数系と言われるものすべてが私の中で消去された。(ごめんね、先生)
ので、この本を読むことにずっと抵抗を感じていたんだけど、知人が「オモシロイよ」と言うので読んでみた。

数学の本じゃない。それはわかっていた。
記憶が80分しかもたない博士。そこへやってきた家政婦。その息子。どんなに親密になっても80分経てば自分達のことは忘れ去られてしまう。また初対面からやり直し。それでもまた近づきたくて、母と息子は毎日毎日健気な努力を続ける。もちろん、博士も努力する。二人に失礼がないように。息子√(ルート)を傷つけないように。自分は深い傷を抱えながらも。

「18は過剰な荷物の重みに耐え、14は欠落した空白の前に無言でたたずんでいた」
この本の中の数学はイメージできる数字。ただの数字ではなく、素数であったり素因数であったり、友愛数であったり完全数であったりと姿かたちを変えながら生き物のようにせまってくる。

すごい。

博士の愛した”数式”と思われる”オイラーの公式”は私にはチンプンカンプンだけど、「+1」によって「0」になる、その「1」無かったら「−1」になってしまう、その意味が大きいのだ大事なのだ、というのはよくわかった。博士が言いたいのは「+1」の存在による「0」。
大人3人に子供が一人加わることによって初めて「非存在を存在」させることができるようになる。

そう私は解釈した。

昔、「”無”と言うのは何も無いんだ」と言い張る人がいて、私はその人に「”無と言う存在”があるじゃない!」と言い返した。
その討論は堂々巡りに陥り未解決のまま、それ以来触れていない。
私がきちんと数学を勉強していたら「非存在の存在」という言葉を使って意味を説明できただろうに。
この本を読んだ今、やっぱり「無という存在はある」と確信できた。
そして、数字上のことだけじゃない、人間にも数式はあてはまる。博士はそれを「美しい」と感じるのだろう。

義姉と博士の関係もオイラーの公式にあてはまるのだろう。その場合は「=−1」という数式に、なってしまったのかもしれない。
posted by なおっぺ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。